仕事をちょっとだけひと段落させて、さっそくさっそく女の子に慰めてもらおうと出会い厨。
 ただご飯を食べ、カフェにいき解散。
 セックスするぞう! という気配が、出せなかったなあ……。そもそも、爪を切らないで出会った時点で、もうセックスする気がなかったともいえる。ただただ可愛い女の子に逢って、話す。

 その女の子とは昔からよく逢っていて、セックスを遠い昔に一度きり。現在彼女にはいいパートナーがいらっさるので、ガツガツいってもいなされてまう。なんとか彼と不仲とか不安定な時期に出会えたらいいなあとか思うが、逢う度にいい感じのご様子で、でもまあいいかーと楽しく飯くらい。典型的洋食屋さんで典型的洋食をたべた。典型的洋食だったなあ。ビーフーシチュウを食べたよ。ビーフーシチュウ。

 シメは「クリームソーダ」。2人してキャッキャッして飲む。
 クリームソーダにまつわる話からバブルの話、バーに行きたい話(ノンアル勢の二人)をへて「アルコールが無いと本音を話せないのはいかがなものか」という話で盛り上がった。

 女の子は、酒の場が苦手だという。
 ある友達がいて、仮にAさんとしよう。Aは普段身持ちが固くしっかり者だった。性的な話も苦手。だがある時酒の場になり、酒の入ったAが突然「ホテル行こうよぉ」と男に甘えだした。その時の、男たちの「酔っぱらった女に向けられる。生易しい空気」が凄く嫌だ、と。

 酔っぱらう女の子を、つい可愛くほほえましく見てしまう僕だけれど、でも女の子はAさんの変貌ぶりに戸惑う。

 普段、私に見せている、硬くて性的な物苦手感あるキャラは、なんだったの? 
 それが本当のあなたなの? 
 じゃあ、酒が無い状態で私と仲良くしている、あの時間は、一体何なの?

 僕も酒が飲めないが、「酒があるから本音言える勢」の味方となって「そういう装置が無いと壊れちゃうっていうのはあるんだよ。人間の分別だけじゃなくて、動物になる時間というか……」と弁護するものの、「でも人間なんですから」と戸惑う女の子。

 言い分は分かる。

 本音(らしきもの)を言う装置としての酒、という事でいえば、この出会い厨アカウントにも似たところがある。
 このアカウントは酒の飲めない僕にとって、本音(らしきもの)を言う装置となっている。表垢は真面目な童貞君なのだ。この裏垢があるから、女の子と話せるという所もある。

 ただ女の子の戸惑いもわかる。酒という言い訳で、じゃあ、性的ないい寄りとか、告白だとか、セクハラいじりとかが、全部OKになるってなんだ、と。
 酒という言い訳で全部オールクリアってなんだ。本音であって、本音でないというなら、どちらを信じればいいのか。それは「言い訳」のために用意された都合のいい装置なんじゃないか。

 では、いわば「酒」みたいな、猫氏のこのアカウントについてどう思うかを聞いたら、「猫さんはちゃんと分けている。分けて、見せたい人にその面しか見せてないならOK」とのこと。
 100%モードを使い分けてるならいいと。問題は、酒モードと標準モードを混ぜて生活している人に、どう対応したらいいかわからない、と。

 酒モードとは「統合を失調している」状態ともいえるのかもしれない。
 矛盾する行動、本人の意志で身体をコントロールできない状態。言い換えれば統合の失調だ。

 一方で生きる上で、その矛盾を抱えること、コントロールを手放すことは、重要なんじゃないかなあとも思う。酒モードと標準モードという統合の失調。僕にとっては本垢と裏垢の「統合失調」。
 裏垢が無いともはや生きていけない僕にとって、酒モードを持つ人も酒が手放せないのは、精神的な面もあると思う。
(ネットで知った)脳科学的に、人間の脳は意図的に「アルコール」を通して、おかしくさせる回路を残していたとのことだ。アルコールを入れると頭がおかしくなるのは、人間を作るとき分かり切っていた。これほど高性能にできているのに、あえてそのバグを残したのは、必要な機能だったからではないか

 その一方で、でもわかる。「酒/標準時」の統合が失調している人に、ちゃんと対応しようとすると混乱するという気持ちもわかる。

 ちょっとはなしがずれるけど、その後、女の子と盛り上がったのは「パパ活アプリ」の話。
 パパ活アプリにはどういう男が登録しているのか。女性の画面から見る事が無いので見てみたがこれは……すごかったなあ。

 パパ活アプリを使う時、どんな男性を選ぶのか? とプロフを見せてもらった。女の子は言った。

「わたしを殺さない人」。

 比喩ではなくて。「男性に一人で逢うということは、殺されるかもしれない怖さがある」と。殺そうとする危険性がない人を、何とか感じ取って、選ぶのだそうだ。

 なるほどなあー、と。女性にとってネットやアプリで出会った男性に逢うという事は、「殺される可能性を有する」と。世間もどこかで「そんな出会いしたからには殺される可能性があってもしかたない」とか思っている風潮もあるかもしれない。しかもそれは、女性にだけ。

 男性社会なんだなあ。この実感を、男性である僕が100%共感できているかは分からないけれど。それはともかく、女の子は命がけで、裏垢の男に逢ってくれてるって事を、もう少し考えねばならない。

 そして「酒」の話に戻すと、「酒」世界の何が怖いかというと、それは「殺されるんじゃないか」という恐怖なんじゃないかと思う。一人の男性が、理性を失ったとき、力の弱い女性を殺してくるんじゃないか。殺さないまでも、傷つけるのではないか、痛い思いをするのではないか。そのくせ、「酒」が抜けたら、それらの事が「無かったことになる」。
 そうした恐怖が、「酒」にあるのではなかろうか。

 女の子曰く、猫氏のツイッターやブログ記事は、そうした「この人は女を殺すような人間ではない」という材料になっているっぽい。文章を書く、考えている事を表現する、コミュニケーションしようとする、という事は、こうした安心への一つの材料提供なのかもしれない。

 安心感。他人に安心感を出せるかどうか。それは、百万円積んでも買えないものかもしれない。他人に安心感を与える何かを出す、空気やセンス。

 有名人がモテるのは、単に有名だから、ではなくて、「有名」であることからくる安心感なんだと思った。有名人は、逢って人を殺したり傷つけたりしないだろうという、安心感。

 ただ、安心はどこまでいけば安心なのか。
 その安心を乗り越えてきている女性に、きちんと誠意ある態度を示さんといかんのだなあと、改めて思ったりなんだりしたのだった。