普段は出会い厨セックス体験記ばかり書いているけれど、基本的な考え方とかも。

 

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出会い厨でネットを使って女の子と出会っては性的な事を要求し続けている私が言うのも申し訳ないが、田房永子さんの記事は本当にいいと思う。

 

Love Piece Club - 本来は、即終わるべき悪ふざけ / 田房永子 http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2015/12/22/entry_005980.html

 

この記事にあるおっぱい募金。去年私はやってきて、おっぱい募金そのものには好感をもっていたけど、わずかに違和感を感じてたことを言い当てられた感じ。おっぱい募金にはまだ肯定的な気持ちはあるが、この記事を読んでその違和感がほどかれた感じだ。考える具が一つ増えて、豊かになった。

 

さて私がやっている「出会い厨」というもの。私は半ば冗談、でも半ば本気で、ネット上で、言葉で女の子をたぶらかし、実際に出会って、性的な事を要求し、その顛末をツイッターに書く、という事をやっているけれど、そうかーと思ったのは、「これが権力になっちゃだめだよな」と。

『やっぱり、エロには「しょぼさ」が必要なんだと思う。エロは、権力を持ってはいけないんだと思う。』

『エロが力を持つと、脅威になってしまう。』(前述のコラムから引用)

 

 エロにはしょぼさ。そうだよなあ。「性」とか「セックス」ではなく「エロ」な。
 そして「出会い厨」という、まあ、言い方は変ですけど「パフォーマンス」(こういうにもおこがましいが)は、しょぼくて、低級で、怒られたらさっさとやめるのがいいんだと思う。
 

いやでも、本気ではある一面もあるんですよ。本気で、平安人みたいに、文学の力でセックスするくらいのね。意気込みは。

だから大事なのは「文学の力でセックスをする」というのは、馬鹿でしょぼいという事を忘れちゃいかん。

 さらに出会い厨で絶対にやってはいけないのは「権力をちらつかせること」か。

自分は最底辺の人間であるべきだ。もちろん権力なんて持ったことないけど、男である時点で権力みたいなところはある。
 だから、絶対に

「お金を持ってる感」(いや持ってないけど)とか

「社会的にはけっこうな立場にいる感」(いや、ないけど)を出したり、勘違いされるような詐欺めいたことはしちゃいかん。

 

例えば今、狙っている女の子が一人いて、その子を「焼き肉奢るから出会おう!」と言っているのだが、けっしてやっちゃいかんのは「高級焼き肉店」におびき寄せる事だろう。出会い厨にゆるされた「焼き肉をダシに出会う」行為は、「安安」まで! 従業員が全員外国人! 二人合わせたディナーの総額が2300円! 明らかに黒い肉! タレが1種類しかなくて全部同じ味の「安安」まで!

 

……いやあ、考えさせてくれるなあ。「エロは権力になってはいけない」。


 ふと、孔子ってエロに対してどう思ってたんだろう。孔子とエロでぱっと思いつくのは

「子曰、吾未見好徳如好色者也(エロが好きなのとおんなじようには「徳」を好きにはなれねぇんだよなぁ)」

とかかな。そう考えると、「徳」は権力になっていいと考えていたんだっけ孔子は。たしかそうじゃなかったっけ。徳のある人が政治家やれって言ってたんだよなたしか。

そう考えると、バナナがおやつに入らないように、エロは「徳」には、やっぱり含まれないのか。

当たり前かもしれないが。でも「エロ」、低俗だけど本能に結び付いているもの、というものは、「徳」ではないというのなら、「徳」とはやはり後発的なもの、「学」や「礼」によって得られる何かなんだろう。

 

「徳」がないものが権力を持つと、「おっぱい募金」になる。

 

おっぱい募金は孔子の言う「直」の精神なんだろうな。そして「直」が権力になった場合の、怖さ、違和感がそこにある。

 

まだでも僕がおっぱい募金に対して肯定的な気持ちなのは「直」を面白がっているところがあるんだろうな。そこはでも、徳が足りない所なんだろう。学が足りない所だろう。

 

エロに学。エロに様式を与えると、「官能」になるのかな。

うーむ。エロ(低俗・サブカル)と官能(ハイカル)の違い。エロはダイレクトにちんちんをたたせ、まんこを濡らすこと。官能は、必ずしもちんちんがたつ必要もなく、まんこが濡れる必要がないのだろう。直そのものではないが、徳がそこにある。

 

だからあれだ、エロをサブカルではなく、「サブカルチャー」にする事も大事なのかもなあ。そうした「エロの無自覚に権力化したサブカル化に対して、サブカルチャーとしての矜持、つまり、「怒られたら逃げる」精神を忘れぬこと、偉ぶらぬこと、みうらじゅんのようになること」が、大事なのかもしれぬ。

 

今大事なことは、みうらじゅんになることだ。

大事なことはみんなみうらじゅんがやっている。

権力から遠く、たった一人で、面白いことと戦っている。人はみうらじゅんにならねばならない。エロもサブカルもみんな、みうらじゅんのようにならなければ。たった一人、戦っていないかのように見せて、戦わねば。

 ……そんな結論でいいでしょうか。