さて昨日はファッション修行出会い厨であった。八月にオフした女の子が、とにかく「猫さん、服がやばいです」という事となり、服修行の日を作ってくれたのだった。ひさびさの、おっぱいだのセックスだの考えずに、女の子と会う。ファッションはなあ、やはり謎なんだよ。

 

新宿アルタ前に手待ち合わせる。本日のファッション先生女子もさすがかわいい。秋っぽいエンジのハットにやや長めの金髪によく似合い、特徴的な丸メガネがよくに合う。全体的におしゃれアーティストっぽい雰囲気が本人のキャラによく合っていて、いるだけでその空間が楽しい気持ちになる。

いっぽう猫さんも、地道なファッション修行の末たどり着いた、半袖ワイシャツにチョッキ、おしゃれネクタイにちゃんとピチッとなるズボーン。そしてちょっと前おしゃれ生足革靴男子と出会い厨した時にアドバイスされて買った靴を装備して死地に赴いたのだった!

 

そして女の子の開口一番「努力の跡が見える」と爆笑されたのだった。

 

まず向かったのは新宿紀伊国屋書店。

何を見たのかと言えば、男性ファッション誌である。何がともあれまずは勉強だ。目をファッションにチューニングするのである。

とはいえ、普段『成田亨の仕事・怪獣デザインの40年』とか『金城哲夫・沖縄・心の故郷、そしてウルトラの国』とか『ああ無情のキングジョー』とかだいたいそんな冊子ばかり眺めているので、こんなコーナーに足を向けない。

一方ファッション先生女子、よく男フォッション誌を見るという。

なんでも、

「男の子の服着て、むしろ男になりたいんですけど、宝塚とか男装とかそう言うんじゃなくて、本当に恰好が男の子になりたいんですよねー」

と、パラパラと表紙をめくる。

そして、写真を指さしよいと指摘されるのは、皆、外人。そして、足が長い……。

参考にならないんじゃないかと思ったが、「形の綺麗さとか見てほしいんですよ、バランスや、色とか。あと服をすごく丁寧に着ているんですね。」との事。服を丁寧に着る、というのは、あるらしい。

 

例えば猫さん、この日はおしゃれネクタイをつけていたのですが「何故そんなつけ方が出来るのですか」と、さっそくツッコミ。ものすごく汚いつけ方をしていたらしいのだ。

ネクタイだけではない。エリや、服の腕の通し方、ひも靴の結び方。一つ一つが雑らしい。

なるほど、よく考えればモデルという職業は、「美人」とかそう言うんじゃなくて、「服を丁寧に着る事が出来る」が一つのスキルなのか。

 

そういう新しい見方を発見しつつ、自分の好みをヒアリングしてもらう。

猫氏は、服に文字が書いてあるものが嫌いだ。例えば帽子に「US 1912」なんて書かれていた日には、「お前アメリカで1912年といえば、アルフレッド・カニングハム氏がアメリカ海兵隊員として初のフライトに成功した年だぞう!」とか思ってしまうので本当、服に文字だけはかんべんかんべんなのだ。

 

しかしいろいろ考えたが、根本的に、服に対して興味がないのが最大の欠点だということがわかった。好みだとかそういうのが、そもそもわからないのだ。

 

逆に、先生女子も「この服がいかにいいか」を説明するのが難しいようだ。

 

例えば、今は『足元が「キュッ」としていて、白ソックスを見せる感じ』が流行しているようだが、だからと言ってそのまんまそれを導入しても駄目なのだ。バランスらしい。

そのバランスも、服全体、身体全体、個人全体、ことによると、今の社会全体と合わせる必要がある

 

「それはもう、服や服雑誌を沢山見るしかない。自分なりのバランスを発見するしかないねー」

との事。

だから、すぐれた「服着る」人は、社会情勢を見る目が鋭いに違いない。全体を見て、全体の律、空気、仕組みをみつつ、自身の持つパーソナリティと照らし合わせ、その上での「白ソックス」を選ぶ、という事なのだろう

 

あと「意図」も大事だ。

猫さんが指摘されたのは、「なぜネクタイをつけておきながら、胸元を開けたワイシャツの下の服が雑なんですか? 首元を開ける意図がわからない」と言われる。

タイをつけるとは、首元から胸に注目点を作成する意図があるのに、その首元をおろそかにしているのは、「意図がない」。

ズサンなのだ。

ただ記号として、タイをつけている。そして「首が苦しいから」ワイシャツの胸元をあけ「たまたま寒いから」1枚中に雑なシャツを着ている。

これは、「雑」で「意図」がない状態だ。

意図もなく、自己都合の結果を他人に姿を見せている。それは「だらしない」。

 

なるほどーと思いつつ、しかし心にしっかりとダメージを受けつつ、一行はいよいよ服屋へ赴く事に。途中、100円自販機でペットボトルジュースを奢り、ほんの少しだけプライドを保とうとしていたのは内緒である。

 

最初はフォーエバー21へ。新宿は三階が服屋である。先生女子、「これいいね、コレもかわいい! これも色がいい!」と独自の判断で服を見ていく。

これを見つつ、服を選ぶポイントはいくつかあることが見てとれた。

 

まずは、「色」。個人に合う「色」がある。手持ちの服とのバランスも重要だ。つまり服えらびで、色を見るとは、その人が買ってきた服との歴史を考える必要があるのだろう。その場のノリだけではなく、いままでの手持ちと色味が合うかどうかにも注意が必要だ。

 

次に「素材」。

よい素材と悪い素材が、当然あるのだ。それは着心地とかも含まれるだろうが、あとは「テロテロしてないか」を随分気にしていたように思える。

素材の良しあしを見るのは素人目には難しいかもしれないが、やはりこれは多くの服を見る事、着る事が必要なのかもしれない。

 

あと、これが一番分かりにくかったのは「形」という概念だ。先生女子が気にしていたのだが、どうも「形」に「よい・わるい」「しかくい・しかくくない」「きれい・あってない」があるらしい。

これがなかなか掴めない。

綺麗な形があるらしいのだが、服初心者の猫には、「どれも服の形をしている……」としか思えぬ。だが、やはり明確な何かがあるのだろう。口では説明しにくい概念というか。

 

この「口では説明し難い概念」で、服初心者はいじけたり、挫折したりするのだろう。

「名状し難い」判断基準で、「ダサい・ダサくない」を決められて、途方に暮れていた猫さんの中学高校時代だ。しかし、猫さんも歳を重ねて、その名前のつけられない概念を楽しむ事が出来るようになってきたのだった

 

さて、フォーエバー21、試着室に10着ほど持ちこもうとすると、店員さんに「お一人6着まででござる」とストップ。そして猫氏は上33のパターン着ては見せ着ては見せで、いろいろと寸評を貰うのだった。これは、最初は面倒くさいと思ったものの、「見てもらえる」楽しさもあり、だんだんノッてきたのだ。

 

これ、「女に着る服を選んで貰えたうえ、着て見せて見てもらえる」というのは、いわいる一つのプレイではないだろうか?

だって、女の子、確実に「私の体」を見る訳だ。服を通じてだが。「見てもらえる」快楽。それも、深く、しっかりと、全身を、くまなく見てもらえるのだ。

エロスだと思うんだがどうだろうなあ。

 

さて服を着たり脱いだりと忙しい猫さんだったが、「猫さん、服を脱ぐとき、なぜトントンってするのですか……」と呆れられた。

なんかこう、脱ぐときトントントンと、全身をゆするようにしてぬぐ事があった

それは、スマートにじゃないらしい。、「服を丁寧に脱ぐ」も技術の一つなのだろう。というより、僕の服に対する意識のなさかもしれない

 きちんと手を動かし、身体を動かし、服を丁寧に着て、脱ぐ。横着してはいけない。これも「服人」への道だ。

 

次に行った店がH&M。

地下にメンズがあったのだが、どうも空気が違う。なんかこう、「ヤングなパパ」感の漂う店だ。対象が子連れの夫婦を意識している感じなのか。先生女の子も「なんかこの店違う気がする」とおっしゃる。

 

店によって全然雰囲気って違うのかー。服屋なんて、「大人・若者・子供・ジャスコ」くらいしか違いがないと思ってたが、もっと細かく、もっと鋭く違う。

そして、さらに学ぶのは「店によってS・M・Lがかなり違う」という事だ。

先ほどのフォーエバー21は、Sでもわりとでかい。

21はアメリカ基準だからだというらしいが、だが「全体のサイズは合っていても、腕の長さが合ってない」という事態も起こりえる。なるほどなーと感心。

そして、俺もSサイズが合うとはおもってなかった。いままでずっと、成長を見越したLサイズ人生だったのに……。これもまた、試着しないとわからない事だ。

 

そもそも、服にサイズがあるのは何故か。それは、人の身体に合うためである。当たり前の話だが、私のような「服どうでもよい芸人」だったら、「小さいのはだめだが、大きい位なら別に問題ない」としていて、いままでブカブカでもまったく気にならなかった。だが、ファッションであるならば、それは注意深くチョイスが必要だ。身体に合う、とは、「自分自身に合う」という事の基本である。それがおろそかではいけなのだろう。

男子だったため、いままでは「成長を見越して」大きめのサイズを買い続けていたんだが、もう中学生じゃないんだ。もう身体は、成長しない。いいサイズ、ピッタリのサイズを、自分で探さなきゃいけない。これも、丁寧さの問題だろう。

 

さてH&Mを脱出。道中てろてろ歩きながら、今度はジーンズメイトに遭遇したため入る。

ここではセットアップされていた組み合わせが何通りもあり、それを見て勉強する。特に勉強になったのが、「この組み合わせ最低です!」と先生女子が解説してくれた組み合わせだった。

 

「もうなんか、素材もテロテロで、中2としか言いようがないデザイン、ほらこのアクセ、十字とかあり得ないし、もう何もかも最低です!」

と憤る。

なるほどそう言われると、放課後の男子中学生みたいな組み合わせが中にはあった。

貶されて判るダサさ。だが、貶されなければ、気がつかなかったかもなあ……。

まだ心レベルでは「服のダサさカッコよさ」が見抜けてない。私だ。

そして、先生女子のダサい服への怒りの口調が何かに似ているなと思ったが、それは、僕が「面白くない笑いや文章センス」に対して怒るのとそっくりだなあと思ったのだった。

僕は、「笑い」と「言葉」にだらしない輩を見ると、はらわたが煮えるような怒りを覚える。

 

たとえば、「野性爆弾」のコントを「わからない」とか、「理解できない」「成立していない」などとしたり顔で言う輩に対して、あーこの人は本当に笑いに対してだらしないなと腹立たしい気持ちになる。きっと罵倒するだろう。人格だって否定しかねない。俺が王だったら、そいつの参政権だって奪ってやるだろう。いや、だからと言ってそこまで野性爆弾に思い入れがないんだけれども。

でも、野性爆弾のコントを、何がよいのかと説明するのは、大変困難だ。それこそ、言葉にならない概念を次々と言い、最終的には「たくさん芸人やコントを見るしかないだろう」という結論になってしまうだろうなあ。

 

話を服に戻す。

しかし、こういう服に対する否定の言葉を、10代だったら聞けてなかっただろうなとしみじみ思った。

「服」は社会に対する自分の表明であるとしたら、服を否定されるとは社会における自分を「全否定」された気持ちになるからだ。

もし私が若かったら、女子にそれを指摘されたら、死にたくなるか怒りを覚えていただろう。

ただ歳を経て、出会い厨をするようになり、そうした言葉に耳が傾けられるようになった。プライドがなくなったわけではない。プライドを保ちながら、教えに対しての礼みたいなものが芽生えたのだと思う。服を否定されても、「なるほど」という納得や、悟りの方が強くなっている。

 

逆に考えれば、女子(というか他者)の「服」や「髪型」を評価し、的確に褒めるというのは、その女子の自己肯定を強く促し、簡単に「味方」と認識してくれるのではないだろうか。その時にも、でも必要なのは的確な服ホメだ。おべっかや、意図しない評価は、かえって腹立たしい。

それは「笑い」や「言葉」への批評が的外れだと、たとえ賛否でも軽蔑にもにた感情が自分に起きるのと同じだ。そして服ホメは、現在の現状が広く見えた上で、個人の細かなこだわりを深く見えないと、それをなす事は出来ない。「服ホメ出来るくらい、服に強くならねばならない」と思った物である。

 

最後にGUに行き、そこでまた着たり脱いだり、試着している間に先生女子が別の服を見に行き、そして着せるという、親鳥がヒナにエサをやるような往復を経て、買ったのはズボーンと白系統の長そで。

「着て帰ろう!」といわれ、購入後トイレで着替え出ると、もう瞳を輝かせてわあ、というリアクション。そして彼女は言った。

 

「普通になったあ~」

 

長かった。

「ダサい」からようやく「普通」で「無難」で「ファッションに目がいかない程度の人」に、私はなれたのだ! 

それにしても先生女子のうるんだ瞳の綺麗だった事! トローンとしてたね。言葉の語尾にハートマークがついていたね。「普通」のわしに対して、こう、キラキラーっとした顔を向けてくれたわけだ。おおーと思ったね。そしてファッションの力すごいなとオモタね。

服だけで、こんな顔を女子はしてくれるの……まるで挿入前ではないか。それくらいの破壊力が、服にはあったのだろうなあ。

でもその武器を遣わず、いままで30人くらいの女子とセックス出来ていた自分を褒めてほしいと思うと同時に、「ファッションとは個人の社会に対する政治表明である」とつくづく思った。

 

ファッションに目がいかないとは、強すぎる自己愛の表出になってしまいかねない。

「他人にどう思われてもいいし、他人の目が気にならないくらい自分が好き」な男である事を表明してしまっては、女の子を抱くのに非常に不利になるだろう。

だって女より自分が好きなのだから。それは、困る。それは、自分が女でも抱かないぞそんな奴。

丁寧に、服を着る。

他人からどう見られるか、見られたいのかと言う意図を表明しつつ、

「襟がちゃんと出るように」

「袖が回転した状態のまま腕を通さないように」

「鼻をちゃんとかんで」

人前に姿を、個を、丁寧に見せていく。表現していく。防寒などと言う、わがままな理由で、都市で服を着てはならぬ。

 

で、お礼に猫さん、喫茶店(前に出会い厨した女の子に教わったケーキのうまい店!)でケーキを奢り、そしてタロット占いした。「あなたの想い人は寝取られます」と予言しました。100%当たると評判の猫さん占いである。普段は報酬として「乳をねじりつまむ」を受け取っているが、服講座の謝礼である

 

そんなわけで、長くなったが出会い厨レポート番外編・ファッション講座を受けるは以上である。よくよく考えたら、本当にエロいプレイだ。かわいい女の子に服を見つくろって評価して貰えるオフ。いや、贅沢なオフでした……ただ大変なのは、次会う時には「成長の跡」を見せなあかん。これはプレッシャーだ。

 

でも、他人と出会って考え方が変わるというのは、快感ですよ。

みなさんも女子に出会って、自分の考え方を変えてみるのは良いとおもいました。

今回は以上になります。