今日はうどん大会が代々木公園でやっているらしいが、そう言えば去年の今頃、うどんで出会い厨した。
当時の記事がミクシイ日記に残っていたので、再掲載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カレーとうどんがあるからと言って、それはカレーうどんではありません、か?
今日の出会い厨のまとめである。
カレーを食べるオフをやったのだった。オススメのカレー屋さんがあり、カレーを食べたのだ。で、そこからセックスに持ち込もう……とかは、もうあまり考えられなかった。
疲れているのかもしれない。
だって、カレーからセックスはなあ……。想像がつかないんだ、こうセックスへの道が。
猫「カレー美味しかったね」
女「うん」
猫「じゃあ、セックスだね」
無理だろうか。
ともかくカレーを食べる約束で、女の子と出会った。たしか近所に美味しいカレー屋があるよ、というやり取りの中でじゃあ行きたい、というやりとりで、出会う約束をしたのだ。女の子のほうは、猫が出会い厨であり、出会えばセックスしようと言ってくるのはわかっている。分かった上での、カレーオフだ。
で、出会ったがこれまた可愛いおしゃれさん。めちゃくちゃ可愛いいでやんの。
……セックス出来ないなあとこの時点で思った。
最近出会う女の子は、例外なく全員可愛い。そして可愛い女の子とは、ほぼセックス出来ない。理由はいろいろあるだろうが、可愛いとな、セックスは出来ないんだよ。
何故かを考えるに、「可愛い」は、「しっかりしている」「ちゃんとしている」も含めて、可愛いのではないか、という説が一つある。いや、セックスにだらしない女の子が可愛くないかというとそう言う訳ではない。ただ、「しっかり者」は可愛い女の子で有る可能性が高いと思うのだ。
そして、今日会った女の子もしっかり者だった。しっかり話の受け答えができるし、将来やりたい事もある。奢りにたいして潔白だし、自分の言葉、態度に、丁寧さが全身にいきわたっていた。
魅力的だったなあ。意思の力も感じるし、きっとこの娘を支えてくれる友人もいい人だらけに違いない。
オフレポに戻る。
カレー食べてたらその娘、「うどんフェス行きたい」との事。うどんフェスかよ、カレー食って、と思ったが、普段からうどんうどん言ってる出会い厨としては、行かねばならぬだろう。というわけでうどんフェスに行く事になった。うどんである。よく食べる女の子だが、食べ方も丁寧だ。こういう所で、すごく、きれい。
ゆらゆらと会場である代々木に向かう。その最中、女の子は出会い厨というものをチクリと批判。
「誰でもいいから抱きたいっていう男とセックスしたいと思う人は限られていますよ」
との事。
まあ、そうだろうけれどもね。私もよくその事について考えるんですよ。
でもじゃあ、
「貴女しか抱きたくないんです、あなた以外、見えない!」
なんて言うのも違う。悩み所だ。
「猫さんは言わなくてもいい事を沢山言いすぎるんじゃないですか?」
とも。
うーん、変なルールを自分に課し過ぎなのだろうか。
自分に課すルールを、他人に押し付けすぎ、という見方もできる。押し付けているのか、自分のルールを。
改め私の出会い厨ルールを考えるに、
・私は出会い厨です、と最初に伝える。
・酒の力は借りない。酒に飲まれて酔っ払ってしまうような女の子とは寝ない
・ちゃんと「こういう方法でセックスへ持ち込みます」と伝える。
とかだっけか。
「聞きたくねぇよ、お前のセックスへの方法なんて、てかもっとロマンチックにやれないのか、この童貞顔」
と批判を受けそうだが、強姦する立場としては、手の内を最初に明かしておかねば、フェアじゃないという意識があったりしてな。
さてオフレポの続き。
セックスセックスと思いながら、でもなかば絶望しながら、うどんフェスを超楽しむ。遠くでスーパーエイサーがかかり、わいわいとうどん屋台が客を呼ぶ。
「私、こういうの好きだなあ……」
とつぶやく女の子がかわいい。
かわいい隣に、男として、居られる幸せったらない。
遠目から見たら我々は恋人同士にすら見えるだろうか。
うどんを分けあって食べたり、口紅の付いたご当地ジュースのペットボトルを回し飲みしたりしていちゃいちゃ歩く我々は、リア充だろうか。
二人の間柄は、ただ単に「セックスしたい男と、カレー食べたかった女」だ。
カレーとうどんがあれば、それはカレーうどんに見えるだろうか。
女の子は調布の花火大会を見に行くと言って、渋谷で別れた。
猫さんはぼんやり渋谷に残される。
セックスは無理でも、女の子とデート出来ている。それに、女の子の話を聞くのは、とても幸せだし、楽しい。楽しいけれど、一抹の寂しさを感じるのは、あれだろうか。
「もっと恰好よかったら、顔がよかったら、セックス出来たのではないか?」
という自問自答があるからだろうか。
渋谷にはイケメンが多い。美女も多い。顔なのか。顔はコミュ力に負けるのか。いや、私のコミュ力は、全然足らないのか?
それでも、負けてはいけない。闘わなくてはいけない。挑まねばならない。それがたとえ不毛な戦いであってもだ。
今日がだめでも、デートを重ねて、こつこつと、セックスしたさ加減を伝えて、優しくしたり話を聞いたりすれば、
いつかは。
ただ、希望はある、というか、冷静に考えてみろ。
「めちゃくちゃ可愛い女の子と、ここ最近立てつづけにデートしている」
のですよ、私は。これはちょっと、凄くないか。
こうして女の子に出会えているのも、わたしが「セックスしたい」とわめいているから、女の子に出会えるんじゃないかという説が、私の中で有力だ。ただデートしたい程度だったら、こんなに女の子とお話しできたり、出会えることもなかったはずだ。
大丈夫だ。猫さん。私は全然大丈夫だ。
人間は自然のごく一部だが、こういうデートや出会いややりとりも、セックスの一部である事は間違いないんだ。
諦めずにやっていこう。私は今、あなたのような女の子にこうしてブログを読まれている事も、セックスに含まれているのだから。
当時の記事がミクシイ日記に残っていたので、再掲載する。
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カレーとうどんがあるからと言って、それはカレーうどんではありません、か?
今日の出会い厨のまとめである。
カレーを食べるオフをやったのだった。オススメのカレー屋さんがあり、カレーを食べたのだ。で、そこからセックスに持ち込もう……とかは、もうあまり考えられなかった。
疲れているのかもしれない。
だって、カレーからセックスはなあ……。想像がつかないんだ、こうセックスへの道が。
猫「カレー美味しかったね」
女「うん」
猫「じゃあ、セックスだね」
無理だろうか。
ともかくカレーを食べる約束で、女の子と出会った。たしか近所に美味しいカレー屋があるよ、というやり取りの中でじゃあ行きたい、というやりとりで、出会う約束をしたのだ。女の子のほうは、猫が出会い厨であり、出会えばセックスしようと言ってくるのはわかっている。分かった上での、カレーオフだ。
で、出会ったがこれまた可愛いおしゃれさん。めちゃくちゃ可愛いいでやんの。
……セックス出来ないなあとこの時点で思った。
最近出会う女の子は、例外なく全員可愛い。そして可愛い女の子とは、ほぼセックス出来ない。理由はいろいろあるだろうが、可愛いとな、セックスは出来ないんだよ。
何故かを考えるに、「可愛い」は、「しっかりしている」「ちゃんとしている」も含めて、可愛いのではないか、という説が一つある。いや、セックスにだらしない女の子が可愛くないかというとそう言う訳ではない。ただ、「しっかり者」は可愛い女の子で有る可能性が高いと思うのだ。
そして、今日会った女の子もしっかり者だった。しっかり話の受け答えができるし、将来やりたい事もある。奢りにたいして潔白だし、自分の言葉、態度に、丁寧さが全身にいきわたっていた。
魅力的だったなあ。意思の力も感じるし、きっとこの娘を支えてくれる友人もいい人だらけに違いない。
オフレポに戻る。
カレー食べてたらその娘、「うどんフェス行きたい」との事。うどんフェスかよ、カレー食って、と思ったが、普段からうどんうどん言ってる出会い厨としては、行かねばならぬだろう。というわけでうどんフェスに行く事になった。うどんである。よく食べる女の子だが、食べ方も丁寧だ。こういう所で、すごく、きれい。
ゆらゆらと会場である代々木に向かう。その最中、女の子は出会い厨というものをチクリと批判。
「誰でもいいから抱きたいっていう男とセックスしたいと思う人は限られていますよ」
との事。
まあ、そうだろうけれどもね。私もよくその事について考えるんですよ。
でもじゃあ、
「貴女しか抱きたくないんです、あなた以外、見えない!」
なんて言うのも違う。悩み所だ。
「猫さんは言わなくてもいい事を沢山言いすぎるんじゃないですか?」
とも。
うーん、変なルールを自分に課し過ぎなのだろうか。
自分に課すルールを、他人に押し付けすぎ、という見方もできる。押し付けているのか、自分のルールを。
改め私の出会い厨ルールを考えるに、
・私は出会い厨です、と最初に伝える。
・酒の力は借りない。酒に飲まれて酔っ払ってしまうような女の子とは寝ない
・ちゃんと「こういう方法でセックスへ持ち込みます」と伝える。
とかだっけか。
「聞きたくねぇよ、お前のセックスへの方法なんて、てかもっとロマンチックにやれないのか、この童貞顔」
と批判を受けそうだが、強姦する立場としては、手の内を最初に明かしておかねば、フェアじゃないという意識があったりしてな。
さてオフレポの続き。
セックスセックスと思いながら、でもなかば絶望しながら、うどんフェスを超楽しむ。遠くでスーパーエイサーがかかり、わいわいとうどん屋台が客を呼ぶ。
「私、こういうの好きだなあ……」
とつぶやく女の子がかわいい。
かわいい隣に、男として、居られる幸せったらない。
遠目から見たら我々は恋人同士にすら見えるだろうか。
うどんを分けあって食べたり、口紅の付いたご当地ジュースのペットボトルを回し飲みしたりしていちゃいちゃ歩く我々は、リア充だろうか。
二人の間柄は、ただ単に「セックスしたい男と、カレー食べたかった女」だ。
カレーとうどんがあれば、それはカレーうどんに見えるだろうか。
女の子は調布の花火大会を見に行くと言って、渋谷で別れた。
猫さんはぼんやり渋谷に残される。
セックスは無理でも、女の子とデート出来ている。それに、女の子の話を聞くのは、とても幸せだし、楽しい。楽しいけれど、一抹の寂しさを感じるのは、あれだろうか。
「もっと恰好よかったら、顔がよかったら、セックス出来たのではないか?」
という自問自答があるからだろうか。
渋谷にはイケメンが多い。美女も多い。顔なのか。顔はコミュ力に負けるのか。いや、私のコミュ力は、全然足らないのか?
それでも、負けてはいけない。闘わなくてはいけない。挑まねばならない。それがたとえ不毛な戦いであってもだ。
今日がだめでも、デートを重ねて、こつこつと、セックスしたさ加減を伝えて、優しくしたり話を聞いたりすれば、
いつかは。
ただ、希望はある、というか、冷静に考えてみろ。
「めちゃくちゃ可愛い女の子と、ここ最近立てつづけにデートしている」
のですよ、私は。これはちょっと、凄くないか。
こうして女の子に出会えているのも、わたしが「セックスしたい」とわめいているから、女の子に出会えるんじゃないかという説が、私の中で有力だ。ただデートしたい程度だったら、こんなに女の子とお話しできたり、出会えることもなかったはずだ。
大丈夫だ。猫さん。私は全然大丈夫だ。
人間は自然のごく一部だが、こういうデートや出会いややりとりも、セックスの一部である事は間違いないんだ。
諦めずにやっていこう。私は今、あなたのような女の子にこうしてブログを読まれている事も、セックスに含まれているのだから。